福岡操体法スタジオ (yahoo!ブログから移転)

九州は福岡に操体法スタジオを開設しました。さまざまなアレルギー発作や肝臓病を生活改善で、回復不能といわれたムチウチを操体法で対応した自身の体験も紹介。施術や講習会のお問合せは080-1720-1097 メールfukuokasoutaihou★yahoo.co.jp(★→@)へお寄せください。

2011年08月

※操体法の実習を見学・参加する⇒①②③から選べます。
①みんなで講習会(参加費2000円)
②家族や友人とゆったりプライベート実習(2500円/人。三名~2000円/人)
③一人でゆっくり個別実習(一回3000円)

 ②③は日程・時間帯を希望にあわせます。西鉄高宮駅徒歩3分。
 お問い合わせ電話080(1720)1097(山下) 
                 またはメールfukuokasoutaihou☆yahoo.co.jp(☆⇒@に)

助けが必要なとき誰に助けてもらうか。困っている時は選ぶ余裕もないが、ほんとうは困ったときほど人を選ばないと結果は得られない話だ。

交通事故で問題がこじれ、誰に助けを求めればよいのか分からないまま、頻繁に足を運んだ時期がある。数名の弁護士さんに話を聞き、役所の担当の方と会い、知り合いの病院長や、大病院の各科の医師にも話をしてみたし、利害関係のない保険会社の方にも話を聞いた。
よい対応を受けたが、意見のほうはてんでバラバラ。どうすればよいか分からない。その中で、一人の人物の意見が、時間の経過とともに、もっともよく現実にあてはまることがハッキリ見えてきた。その方以外のアドバイスを受け入れていたら、とんでもない結果しかなかったのである。

「助けてあげますよ」と声をかけてくれた親切そうな人についていっても、結果は出ない。結果を考えてみれば、何が親切で何が親切ではないかは時と場合による。
友人をさがすのとはわけがちがう。親切で人柄がよいというのはもちろん理想的であるけれども、それでは当然、役に立たない。助けに飛びつくことなかれ。自分自身の判断力をフルに働かせ、よくよくお気をつけなさいということだ。

寄せては返す笑いの波が、室内に心地よく響く。ほんもののお料理と本心からの会話とが互いに手を取り合うようにして軽やかに進んでゆく。操体法というマグネットに引き寄せられてきた人々との交流が、これほどまでに楽しいものになろうとは。まったく夢のような一夜だった。

懇親会をやりましょうという一人の提案が、8月27日にかたちになった。
およそ会合のようなものには慣れない身で外食もしないし生臭物に抵抗はあるしで、心からくつろげる安心な場所はないものかと、しばし思案。生来気は小さいくせに、希望者があればたいがいのことはかなえたいという基本姿勢だから、何をやるにも一つ一つが大げさなチャレンジである。

幸い、福岡市中央区城内の閑静なたたずまいのお店「花ふさ」さんが救って下さった。私の心の中で花房さんご夫妻は自分の叔父叔母、いやそれ以上の存在。大学時代から二十年以上にわたり、長くお世話にもなり、大いに刺激を与えて下さる存在である。このたびの福岡操体法スタジオ第一回懇親会では十数名のお食事のことを快く引き受けて下さり、感慨深いものがあった。夏の緑が目にしみる一軒家のお部屋に迎え入れられ、のびのびと過ごせる場を得られたのはまったくの幸運であった。

植物の実力を感じさせる、正真正銘の精進料理である。私はちょっとご無沙汰していたので油断があった。またさらに腕に磨きがかかって進化されたのも確かなことだろうが、以前からこんなに素晴らしかったのを未熟な自分の感覚がきちんとキャッチできていなかったのかもしれないとも思う。

滋味豊かな味わい。体に英気のみなぎるお料理を囲んでの座談会・交流会である。盛り上がらないわけはない。「自己紹介!自己紹介!」との声があちこちであがる。お一人お一人が語りたいことをたくさん持ち寄られているのである。操体法との出会い。今後の希望や夢。質問が自由に飛び交い、さわやかな笑いがはじける。
何気なく口に運ぶ料理の一口一口が静かな感動を呼びさまし、周囲の人と目を合わせてほほ笑まずにはいられない。自然の営みを尊重して育てられたお野菜である。そしてお料理に真摯な思いを一貫してこられたご夫妻である。操体法を語る場にこれ以上の料理は考えられない。
自分たちの目指す操体法も、こんなふうでありたいものだ。

またいつか集まる機会を持ちたい。今回参加できなかった方、次は参加したいと思った方、ぜひご一緒に楽しいひとときを過ごしましょう。

※九州・福岡市内にて操体法を学べます。
自分の体の調整をおぼえながら、種々の活動も始められます。
誰でも参加できる定例の講習会、少人数で申し込めるプライベート講習や個別もあります。
お問い合わせはメール freeyourself.sotai★docomo.ne.jp (★を@に)もしくは080-1720-1097まで。

誰かが成功するということは誰かが失敗するということ。受験で合格した人がいれば別の誰かが不合格ということ。勝者と敗者。競争社会の基本はそういうことだろうと思う。

競争社会で生まれ育った私であるが、操体法をやっているうちに、「みんなで一緒に救われる道がある」と思われてならないのである。みんな一緒に成功するっていうことも、あるんじゃないかと思えてくる。うまく説明できないのだけれど、共に救われたい、共に成功したいという気持ちが、ただただ湧いてくる。
操体法スタジオの講習生の方々が活動できる場を提供したい、と思う。
スタジオの中に、操体スクール部門と、施術部門とを創設し、スクール部門で講師として教える活動をしたい方や、施術をやりたいという方のための環境をととのえたいと思うのである。
最近そういうビジョンが次第にはっきりしてきた。自分の活動の方向は、こうではないのかな、と思われることが多くなってきたのである。

人生五十年といえば、もう私は人生が終わっている。そう思うと逆に、これからの自分は何でもできると思われる。
これまでの自分の人生を、なぞるような生き方はご免だ。
夢、なのかもしれない。しかし夢も実現させれば現実。
腰の重い私だが、さあこれからどうする。どう出るか。
趣旨にご賛同いただける方々と共に、歩んでいきたいと思う。

※九州・福岡市内にて操体法を学べます。
自分の体の調整をおぼえながら、種々の活動も始められます。
誰でも参加できる定例の講習会、少人数で申し込めるプライベート講習や個別もあります。
お問い合わせはメール freeyourself.sotai★docomo.ne.jp (★を@に)もしくは080-1720-1097まで。

高度医療、健康法、節制と、いろいろあるのだろうけれど、山や海や川に出て太陽を浴び、風にさらされて気持ちよく過ごすのは、心身の健全な働きを支えるベースではなかろうか。
今年の夏は水浴びと日光浴に目がくらんでいる。毎朝よく飽きずに川遊びに出かけるのであるが、こんなに元気な夏があったろうかというくらい、夏を楽しんでいる。

朝に水を浴びるのは気持ちがいい。海か川が近所にあれば最高だろう。川はある。昔の人はこの川に入ってよく遊んだと聞くが、今ではヘドロの臭気が漂い、誰も入れない。しょうがないのできれいな川まで車で移動する。魚が泳ぎ、羽黒トンボやオニヤンマが飛び回り、鳥のさえずりが絶えない川辺だ。一時間たらずの水浴びと日光浴が今の自分に考えられる最高のぜいたくである。

川遊びに興じるようになると、どうしても食事の時間がとれない。「さあ出かけよう」というときに、「いやまだ朝ご飯食べてないし」とか、「お昼はどうする」などと考えていては出そびれる。食事は私にとって生活の鎖なのだ。しかし散歩に出かけようと勇んでいる犬に何を言ってもムダである。ご飯がどうのということも大切なのかもしれないが、それでモタモタしていれば、川のせせらぎにつつまれた水浴びも日光浴もあきらめなければなるまい。

「寝食を忘れて」という言葉があるが、食べるだけは食べている。食事が少々後回しになるだけのことである。もしも食糧や水に窮乏する生活だったら、朝から晩まで食べ物のことで頭がいっぱいの生活になるだろう。寝食を忘れるというのもこれまた大変なぜいたくである。
心も体も食べ物という鎖につながれていたら不自由だ。一日三食では身動きがとれなくなる。日中の活動時間に食事をとっていては一日中食べているのと同じようなもの。朝と昼の食事をやめたら、一日の時間の流れがずいぶんゆったりと流れるようになった。疲れて腹ぺこになるから毎日の食事も楽しみである。
体の調整は体の調整でよいのだけれど、外で元気よく走りまわる犬みたいに過ごす時間も生活の中で忘れられてはならない要素だとあらためて思う次第である。

※九州・福岡市内にて操体法を学べます。
自分の体の調整をおぼえながら、種々の活動も始められます。
誰でも参加できる定例の講習会、少人数で申し込めるプライベート講習や個別もあります。
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分からないことだらけの中を分からないまま、あいまいなままで生活を送っているのである。予防接種にしても抗がん剤にしても、使う・使わないのどっちにころぶかは、そのときの風まかせという人が、私の周囲には圧倒的に多い。一歩まちがえば転落する崖の上を、そうとは知らずに歩いている。見ていてそんな感じがする。

「学校で予防接種を受けるよう指導されて心配なんです。なんか、よくないこともあるんでしょう?」と訊かれ、「心配なら、受けなければ?」と私。
「でも、みんな受けているのに自分だけっていうのはできないって子供が言うんです」
「まあその年齢なら難しいかもね。すぐ死ぬっていうこともないだろうから、受けたいって言うなら受けさせれば?」と突き放してみる。
「いや、でも心配です。よくないことも、あるんじゃないんですか?」「たとえば、どんな?」「だから副作用とか」。
「あなたがそこまで言うのなら調べてみようか」。分からないなと思ったら。不安だなと思ったら。まずはきちんと事実関係を調べればよいのである。調べるうちに判断がつくられてゆく。調べなければいつまでたっても深い森の中をさ迷わなければなるまい。

「あ、でも、期限があって今なら無料でお金いらないんです。無料期間を過ぎると、けっこう高いんですよ」
「本人も受けたいと言ってるし、今なら無料。それなら受けさせれば?」
「いや、でも…いいんでしょうか。受けて」
「さあねえ。私は知らないよ。調べてみようか」

子育て中のお母さんたちは心配ごとが尽きない。私にできるのは両方の意見の資料を集めて渡すこと。判断は本人たちが下すしかない。半月ほど経って尋ねてみた。「結局どうなったの?」
すると、「資料読んでもよくわからなかったんですけど、あんなに考えなきゃいけないことがあるものだったら、いっそやらないほうが安心です」とさっぱりした顔で仰った。
たとえどんなことでも本人たちで結論が出せてよかった。一件落着。

※九州・福岡市内にて操体法を学べます。
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自分と他人のどちらを大切にするか。迷いは無用。時と場合に応じてどっちかを大切にしていれば、いずれ道は合流する。自分のことと他人のこととが車の両輪のようにかみあってくるのは時間の問題。自分のことを大切にし過ぎると他人のことがおろそかに、他人を大切にしていると自分のことがおざなりになる傾向があると思われるけれども、それはまだ道半ばの状態にすぎないのであって、実際そんな心配は無用なのである。

操体法をやっていると、そのことはハッキリしてくる。
自分の体質改善や健康増進に関心がある場合、まず自分の体のことを中心に取組めばよい。
一人でやっているうちに限界が分かってくる。自分でうまくいっていると思って操体法やっているつもりでも、ストレッチや体操とどこがどうちがうか分からないようなことを平気でやっていたりする。
「自分のことだからいい加減でいいや」と思うからデタラメになる。自分をほんとうに大切に考えれば、自分だけのことを考えていては進めなくなるわけだ。自分の場合はこのケースに入る。

施術に関心が向く場合、まず他人の体のことを中心に取組めばよい。「自分はどこもわるくないから自分には必要ない」と思って自分のことを棚上げにして進んでいくこともあるだろう。
しかし施術の場合、お代をいただけば要求される内容もシビアである。他人の背中が不自然に盛り上がっているのを見たり触ったりして、「この硬さがなかなかゆるまないなあ」などと具体的に分かってしまうので、ごまかしがきかない。他人の体の感覚はわからない点も残るし、相手の時間の都合もある。となると、自分の体を実験台にして自習するしかない。自分の体で納得ゆくまで体と向き合い、自分の感覚を磨くことで、自分の体調もよくなるし、技術も身につく。一挙両得とはこのことで、自分の体験が人さまのお役に立つというわけである。

講習では口を酸っぱくして「重心安定の法則」「重心移動の法則」と言い続けているが、二人操体で補助の役にまわっていただくと、途端に姿勢があやしくなる。肩や腕が力んで腰も引け、「体(たい)をくずしている」状態。これでは相手の動きをしっかり受けとめることはできない。操法の出来を左右する脱力も不十分となる。おまけに体に歪みが入って肩は張ってくるわ、腰はつらいわということにもなる。

補助の役にまわる人も、補助してもらう人も、「ゆっくりなめらかに」動いて、「じわ~っ」とタメて、「バターン」と脱力をするわけである。両者ともに動きに無理がなく、両者ともに体がゆるまなければ本物の操体法ではない。
二人ともが同時にゆるみ、ほぐれるというところが操体法の特徴でもあり、愉快なところなのである。
動きを受けとめる側に無駄な力をどれだけなくし、どれだけ無理のない体勢を得られるか。それが操法の出来を左右する。
日ごろから一人操体に正しく取り組んで、自分自身の体をしっかりさせることを心がけている方は、おのずと周囲の方の指導に多少なりとも関わる日もくる。施術の技術を向上させたいというお気持ちのある方は、自分自身の体をしっかりさせることが大前提ということを念頭におかれ、体をしっかりゆるめておくと間違いないということだ。

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早朝の川辺にテントを張りにゆく。朝一番の空気と、まっさらな朝露の草の中を歩き回る。軽快な音を立てて光を散らす流れにさそわれて、顔を洗い、首筋を洗い、腕をひたし、足を突っ込み、膝までつかり、ついにはざんぶりと頭を突っ込んで、髪を洗う。
爽快である。

夜明けのオレンジ色の空を見ると、もうジッとしていられない。白々と明るんでくる空と競争でもするかのように、とるものもとりあえず外へ飛び出してゆく。山か川へか決めないうちにアクセルを踏んでいる。たいていは、とある川辺に自分で地面をととのえた、ささやかなテント地。自分だけの秘密基地に向けてまっしぐらである。

テントを張ったら散策する。まっさらな新雪の上を歩くときの気分で、まだ誰も吸わない朝一番の空気と、誰も足を踏み入れていない朝露の草の中を、歩き回る。上流の水は冷たいが、軽快な音を立てて光を散らす流れにさそわれて、顔を洗い、首筋を洗い、腕をひたし、足を突っ込み、膝までつかり、ついにはざんぶりと頭を突っ込んで、髪を洗う。
爽快である。
平らな石の上で休む。鳥の鳴く声に耳をすませながら、草の葉にしがみついているカミキリムシと一緒に朝の光を背に受ける。お羽黒トンボがこげ茶色の羽をはばたかせながら水面すれすれを浮遊する。青く光るしっぽのトカゲが妙にキクキクした動きで斜面を登ってゆく。
川面をわたる風が通り過ぎて、少々肌寒い。

テントに戻る。夏の日差しを受けながら、本を読んだり書いたりうとうとしたりして過ごす。さんざん体があたたまったら水に入る。般若心経を唱える声が思わずふるえるほどに、冷たい流れである。じっと耐えてお経を続けていると、魚が集まってくる。体をつつきにくる、いや、かじりついてなかなかに痛い。そこも耐えてお経を繰り返す。そしてまた水から出る。岩の上で甲羅干しをする。風が渡る。

こんなふうに朝を迎えるのが、私の夏一番のぜいたくであり、バテ知らずの夏の過ごし方である。

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通りで七味唐辛子を売る二つの屋台を見たことがある。一方は人がたかり、一方には人が寄らない。内容も価格も同じだが、一方は口上がうまい。威勢のよい説明とともにアオノリや麻の実なんかを鮮やかな手つきで混ぜていかれたりするので足を止めてしまうのである。
16歳の頃から数年間、実演販売の経験があるから、私はこういうことにはとくに興味をかきたてられる。

「はじめの人にはじめて説明するときがむずかしい」「説明しても、うまくいかない」という質問が、まさにこの点についてなのだった。「こういうパターンも考えられます」と講習で実例をやってみせたが、教わってできることでもあるまいなあと思う。

スイーツの話ならいくらでも話せる。自分の子供のことなら何時間だって話せる。なぜだろうか。それはスイーツのことを何度も何度も繰り返し考え、自分の子供のことを何十分も何時間も考えたからである。七味の屋台のおじさんだって、七味のことをどれだけ考えたかしれない。
人に何かを説明できるようになるためには、自分の中にあたらしい思考の流れをつくる必要がある。新しい思考の流れがつくられるまで何度も何度も繰り返し考える。自分の言葉ですらすら話ができるようにまで、何度も何度もそのことを考える習慣をつけるのである。

「操体法は一言でいうと、何なんですか」「操体法はどういうからくりなのですか」と、自分自身にインタビューしてみる。さて、どのくらい話ができるだろう。一人でやって即答できなかったら、人に訊かれたその場で答えられようはずもない。

「え~っと、え~っと、そうですねえ」と返事を考えてみよう。うまくいかない? その場合は、橋本先生の著書『からだの設計にミスはない』などを開き、ページを繰りつつ眼を通す。まあ一種のカンニングである。「つまりそれはですね、あっ、ほらここに書いてあるとおりのことなんですが」と話してゆく。途切れ途切れでかまわない。本のあちこちのページをめくりながら、「あれっ、こんなことが書いてある」「あんなことも書いてあるぞ」と発見があるはずなのだ。心に引っかかってくるキーワードを見つけ次第、アドリブで話してゆく。「まあ今度ゆっくり時間をかけて、また読むか」ではダメなのだ。あくまでカンニングでもするつもりで「だから、つまり、操体法っていうのはですね…」とやっていく。

「これは何か」。正面きって訊ねられると、何だってカンタンに答えられるものではない。「花ってなあに?」「お空って何なの?」「太陽とは何か」「運動とは何か」。そら、どれもむずかしいではないか。質問されるほうの身となれば厄介至極。そんなこと質問するほうがおかしいと、目を白黒させられることもあるだろうが、そうではない。私たちは分かっているつもりで何も分かっていないのである。正面きって訊ねられ、ハッと胸を突かれた瞬間に、明快に答えられない自分をはじめて発見する。
そこからが、勝負。そこからが、勉強である。
人に教わったことをそのまま実行できるのならそれも悪くはない。しかしそんな器用なことができるくらいなら最初からこんな質問はしない。「教わったけれども、なかなかできないなあ」と感じることのほうが多いはずだ。「教わったときは分かった気になるけど、イザ自分でやってみると分からない」。

「やってみるとよく分からない」ということこそが、大切。自分でやってみて、何がどう分からないのか、どうむずかしいのか。それがよく分かるだろう。具体的なよい質問というのは、そうした生の現場でこそ用意される。よい質問をすることによって、自分もだんだんと分かってくる。
私も質問を待っている。活発な質疑応答あってこそ、こうして集まる意味もある。どんどん手こずる質問を浴びせ、ハッと胸を突き、「一本」を取っていただく。そういうことも、あると思う。

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弟子入りというと最初は下働きと相場は決まっている。絵なら絵、剣術なら剣術をすぐには教えず、まずはお掃除などの雑用。
洋の東西を問わないのか、子供のころ読んだ魔法使いの弟子も、雑用にうんざりしてこっそり魔法をおぼえたのだった。それがやがてとんでもない失敗につながるという話。

「あれ? Nさん、圧痛点の探し方が的確ですね」。他の講習生が意外そうな声を挙げる。
Nさんは講習に参加して日が浅い。だのに圧痛点にかける力加減がまずまずだった。「やっぱりなあ」と私は心の中で思う。
Nさんはひどいムチウチ症で施術に足を運ばれていた。無理なくできる操法が見つからず、これもダメ、あれもダメ。右へゆくとここがチョット突っ張る、左へゆくとチョット苦しい。「ほんのチョット、なんですけどねぇ」遠慮勝ちに仰るのを、「いやいや、そのチョットがだいじなところです」と私は受ける。チョットチョットを尊重しながらの、集中を要する施術である。

Nさんは判で押したようにきっちり通われた。遠方だから、あの体調では苦しいだろうと思ったけれども、張り詰めた表情で予約をとられるので、お互い真剣勝負のような面があった。
最悪の事態を抜け始めたころに、一言、「わたし講習にも参加したい」とNさんは仰った。

「まああれだけの施術を受けられたのだから」と私は思ったのである。
私自身、講習でおぼえたのではない。ただよく見て、よく感じ取ろうとした体験があっただけだ。もともと私は学校というところがダメ。授業形式ともなれば条件反射でアクビが出る。情けなくなるほどの全身虚脱の状態。今でこそ講習を受けるも主宰するも、目玉をキラキラさせて取り組んでいるが、その前段階で施術を受けていた頃に、しぜんに体得した感覚が自分のベースにはあると思う。

よく図書も読んできて、ふだんも家族や身辺の人の体で練習をしている熱心な講習生もいるし、過去の私のように施術を受けるだけで参考図書も手にとったことがない方もある。
操体法のリクツを話すと、よく話ができる人もいれば、話せない人もいる。人の体に関心があったり、自分の体にしか関心がなかったり、とまあ状況も目的もいろいろなんである。
しかし実習ともなるとそういうのは一切合財関係ない部分も見えて、それがまた面白い。
ご本人の、体での体験。感覚での体験。これが全てではなかろうか。
施術を受けている間というのは、感覚の集中トレーニングを受けることになる。重症であればあるほど集中力が要求される。講習一年生より二年生、三年生と、年数も幅を利かせてくる。

こっちはそういうことを眺めて面白がっているが、面白がってばかりもいられない講習生もいるだろう。
他人さまを実験台にするだけで、自分の体をかえりみないというのは、まずい。非常に、まずいのである。
ご自身の体、筋肉の状態が、取り組みの全てを物語っている。まずは自分の体を実験台に、感覚のトレーニングを積まれることをお勧めしたい。

※九州・福岡市内にて操体法を学べます。自分の体の調整をおぼえながら、種々の活動も始められます。
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