福岡操体法スタジオ (yahoo!ブログから移転)

九州は福岡に操体法スタジオを開設しました。さまざまなアレルギー発作や肝臓病を生活改善で、回復不能といわれたムチウチを操体法で対応した自身の体験も紹介。施術や講習会のお問合せは080-1720-1097 メールfukuokasoutaihou★yahoo.co.jp(★→@)へお寄せください。

2012年10月

わるいことをすると楽しい。いくら「いけない。やめよう」と理性のほうで思ったって、人は楽しいことならばやるというのが基本である。体をこわしながら酒におぼれ、暴飲暴食を止められないのは本人も苦しい。感覚をくるわせると「一方で楽しく他方で苦しい」というような矛盾が起きる。
わるいことをしてもさほど楽しくもなくなって、ほどほどのところでおさまる。自分にちょうどいいことが一番楽しくなる。自分に一番楽しいことが、自分にとって最上のことだったら、何ら矛盾も発生しない。これ以上のことがあるだろうか。

どんなに本をひっくり返し、どれだけ映像を見つめても、だいじなのは「やり方」ではなくて「感覚」だろうと思う。「原始感覚=カン」を働かせ、「よい」と「よくない」を理屈抜きにかぎわけ、最上のことをやる。迷いがない。知識や理性といった頭の判断が入り込む以前の判断力。現代人はこの原始感覚(カン)をくるわせやすい生活を送っていると操体法の橋本敬三医師は指摘する。

操体法はほんらい備わった感覚の正常化をねらいとしたものだと私は考える。
本来あるべき感覚。自然に備わった自分ほんらいの感覚。
頭で考えるのでもない、知識で決めるのでもない。くるった感覚にほんろうされることなく、しっかりした感覚を身につける。
理屈を抜きにした、自分にとってのほんとうの感覚が、じっさいに自分の中にあるのだということ。
体の動きと、動きにともなう感覚とに、意識を向け、感覚に気づく。一つ一つの動作で気づきを体験する。それを日々少しずつ積み重ねてゆけば、確実に近づいていける。理屈を抜きにした、自分にとってのほんとうの感覚。
それは実感をともない、「感覚は力」ということを思わせる。

①テレビをつけたまま正座をして、テレビの音声に心を動かして坐禅を組む。
「ながら坐禅」とでも言おうか。
②テレビをつけたまま正座をしているが、テレビの音声が聞こえないくらいに「坐ること」に集中している。

どちらも外見は同じことをしている。
目に見える世界に気を取られていると、目に見えない世界は「ない」ことになってしまう。
ぱっと見た目には見えないけれども、ずっと見ていくと、天と地ほどの違いがある。
何を見て、何を感じ取るか。感覚こそ力である。

針を体に刺すと、刺激で人体が何らかの反応をする。それがたまたま自分に都合のよい反応だったら、うれしい。「針のおかげだ」と思う。
しかしほんとうは「針のおかげ」じゃない。反応したのは「自分の体」。ありがたかったのは自分の体がそういう反応をしてくれたおかげであり、それは「命のはたらきのおかげ」である。
だってそうだろう。どんな達人の鍼だって、死んだ人間に打ってどんないいことがあるか。クッションに鍼を刺したって穴があくだけではないか。
もしほんとうの達人なら、「この体は鍼を打ってはダメである」という診断もできる。それが達人というものではないのか。

手術も同じと私は思う。
手術は大成功したのに、患者さんが起き上がるところまで回復しなかった。それどころか手術の途中で亡くなったケースも、割合として少なくとも、数としては少ないどころの話ではない。たくさん亡くなっておられるのである。これで手術は大成功と言ってしまっていいのか。「この体は手術してはダメである」という診断もできなければ何のための手術か。
手術で生き延びた人間は「手術のおかげ」と思う。しかし正確にいうならば、手術をしたためか、そうでないかを厳密に証明する手立ては今のところ、ない。生存率などのデータ、統計で、数字で「そういうことだろう」と納得するしかない。
絶対の事実は一つしかない。ご自身の体が生命力を発揮して、天上から垂れ下がった細い糸をよじ登ってよじ登って、沼の底から這い上がって、やっと息のつけるところまでたどり着いたということだ。
何が生命力の応援になり、何が生命力のさまたげをしたか。
そこまで私たちはまだ見届ける力や技術を有してなどいない。

ありがたきは体に備わった生命力のはたらきである。しかし生命力は月光仮面のヒーローのようにつつましやかで、どこの誰だか名を名乗るでもない。ふだんからずっと人目に隠れたところでせっせとはたらいている。そしてそのはたらきの名誉は、健康食品に奪われたり健康法に奪われたり、鍼に奪われ手術に奪われ薬に奪われ達人の技術に奪われたりしている。操体法を学ぶのに熱心ということはかまわないが、あまりにその技術ややり方にばかり目が向いて、ほんとうの主人公は誰なのかということがわからなくなってしまうのでは本末転倒のような気がする。
操体法がほんとうに楽しい理由は、本当のヒーローの名がおのずからわかってくることにある。これまで自分が生きてこれたのは誰のおかげだったのか。どんな働きのおかげだったのか。
自分自身の体の中には、いつでもどこでもこんなに頼りがいのある月光仮面がいてくれていたんだなあ。これからもずっと自分の味方をしてくれているんだなあということ。
これ以上の安心が、あるだろうか。

操体法のやり方を通じて、自然の法則のはたらきを自分自身の体の中に見つけてゆく。
自然を味方につけることほど頼もしいことはないのだということ。
それは操体法の生みの親である橋本敬三医師の著書にもちゃんと書かれてある。

「先生」「社長」と何年も呼ばれるうち人間が変わるケースはめずらしくもない。心身を病む病気の一種で病原菌を誰もが生まれつき身に宿している。環境や免疫などの条件によって発症や進行の度合いは異なる。

飲み屋業界で一番嫌われるのは「先生」だよ。
酒の席で師匠が語っていた。あの頃は全く何のことだかわからなかった。
「先生と呼ばれる職業の人間には気をつけろということだ」
酒を飲むと手をつけられなくなるのが教師や医者、社長、弁護士、役人など、ふだんから「先生」と呼びつけられる人間。飲み屋の業界では常識という。「なぜかしら?」つい口に出すと、「ストレスだからだろ」。
二十年近くも前の何も知らない私が、ふうんと口ごもる。

「先生」だけとは限らない。「先生」と人を呼んだとき、つい「私は患者なんだから」「私は生徒なんだから」と思う。買い物をするときは、つい「私はお客だ」と思い、おとうさんおかあさんと呼ばれれば、「私は親なんだから」となる。
それがわるいということではなく、そこに病原菌の活動する場が用意されている。その危険を感じ取るならば、モンスター病を完全に防ぐことはできなくとも、自分や他人を苦しめずに済むのだと思う。

不登校の相談を受ける現場に長くいた。「先生」と呼ばれる人間が、「ご両親」となって相談に足を運ばれるとき、ただの人間に戻れる人と、そうでない人とがあった。家庭の中でも「ただの人間」に戻れなくなっていると訴える子供さんもおられた。「うちの親は神さまを味方につけているし、自らも命を救う救世主と周囲には扱われている」と泣きながら訴えたのは、医者でもあり牧師さんでもある親御さんを持つお子さん。家で手のつけられないほど暴力をふるうという「先生」の話もめずらしくはなく、言葉の暴力ともなると日常茶飯。両親が「ただの人」で物足りないなどと思うこともあった自分は大いに反省したものだった。

困ったとき。お世話になるとき。「先生」と呼ばれている人のもとへ私たちは出かける。助けてもらう身なのだから、少々ぞんざいに扱われても耐えなければならないこともある。そこは黙って耐える。しかし耐えながら、「先生」が「先生」に値する技量の持ち主であるのか。よくよく目をこらし、時には調査もし、何度も判断しなければならない。
ぞんざいな先生は危険がないほうで、一番気をつけなければならないのは「いい人」を装う技術をカメレオンの保護色のように身につけてしまった先生。不自然に「いい人」は自然体の人間にはありえない。周囲の注意深い目にさらされていることは「先生」たちのほうがよくわかっている。だから自分にも他人にもウソをつき続けていると、気づかぬうちにストレスでモンスター病が重症化するのではないか。

類は友をよぶという。自分の「先生」は、自分の判断力をそのまま表す通知簿。眼識のくるった人間は、とんでもない人物を平気で「先生」と呼び、心の底から「先生だ」と思い込んでいるかもしれないのである。先生を選ぶ側の判断力が、問われている。
二十年ものあいだ、師匠は私にとってほんとうの先生であり続け、酒場で荒れることもなく、「いい人」でもなく、いつもスッキリ自然体。それは案外できそうでいて、なかなかできないこと。それが今はわかる。得難い先生を得た自分の幸福の価値は、時間を追うごとに上昇こそすれ下降しない。師匠にはこの二十年間いろんな技を見せていただいてきたが、「いつもスッキリ自然体」は中でも一番のスゴワザ・離れ業ではなかったかと気がついた。これは一番難しそうだが、一番身につけたいと思う技でもある。
これまでさまざまな「先生」に囲まれて過ごしてきた。モンスター病の菌にやられて、ふつうの態度がとれなくなり、ふつうの話さえふつうにできなくなっている姿を見かけることもある。それは自分の目の中だけのことだから、検査数値のように「ほれ」と証明することはできないが、自分の身をつつしむ戒めとせねばなるまい。

モンスター病の感染は誰にも防げない。人間である限り、病原菌を持たない人などないからだ。病気の活動をコントロールするのは自分自身に課せられた一生の課題かもしれない。仏教の教えなどにもそのヒントを見つけることができる。

ケンカやいさかいが絶えなくなって性格も激変。疑り深い目で互いを警戒しながら部屋の隅っこで身を固くしている。こんな陰険なネコの顔つきって、あるだろうか。

それまでのネコ部屋は極楽だった。エサをゆずりあい、互いに体をなめあったりして、ネコA、ネコB、ネコCの三匹が仲むつまじく暮らしていた。二年前にネコCが保護された当初もいじめられることなく、人間世界のお手本にしたいほど心なごむ光景であった。
しかし様相は一変した。一匹が毛を逆立てると意味もなく全員集まって、ぎゃあぎゃあとくんずほぐれつした揚句、抜けた毛があたりに飛び散る。目玉を引っかかれて怪我したものまで出たので、一匹ずつ隔離した。人間が手を伸ばしても「うう」とうなって威嚇してくる。
なぜ急にこんなことに? 彼らの生活にどんな変化があったのだろうか?

二つの変化に注目してみた。
自分で世話をしていたころは、自分の飲む山の水を与え、エサは国産のキャットフードだった。
だんだん世話をまかせるうちにいつの間にか、このビルの水道水と高級な輸入のキャットフードになっていた。
ネコBとネコCの体格には変化なかったが、ネコAは異様に大きくなって膝に抱けないほどだ。
ネコBは右目が数年前からただれていたのが、左目まで腫れて涙を流し続けている。若ネコCには外見的な変化はない。
水道水をまずやめてみた。一カ月経っても目立った改善がないので、さらにキャットフードを国産に戻し、ネコの草を与えたりもした。しかし、いったん狂った流れは変わりそうにない。キャットフードをやめ、煮干入りのおかゆにして、うっすらと空腹な日々を過ごすようにさせた。
こんどは一カ月もかからなかった。
つきものが落ちたようにネコたちはさっぱりした顔になり、以前どおりの屈託ない声でにゃあにゃあと走り寄ってくる。ネコBの両目はぱっちりと開き、うそのように回復した。右目が開いたのは実に三年ぶりのこと。

三匹いっしょに同じ部屋で過ごすというのはまだ実現していない。ネコAとネコBの組み合わせだけがうまくいかないのだ。それも時間の問題と考えることにして、毎日おかゆを作り続けている。

一口食べて「あれっ?」と思う。ラベルを見る。
純正のものしか買わず食べずを続けてきたが、「純正」にもまた格差がある。妥協もしたしだまされもしてきた。合法的な「無添加」の表示は意味がない。法律そのものがザル法なので合成添加物の混入をさんざん許している。
ほんものを得るためにずいぶん勉強もやった。「どっちが得か、よ~く考えよう」っていうことを何千何万何十万回と繰り返し、手間も時間もバカバカしいくらいにかけてきた。

ソースなどの調味料はいくらでもごまかしがきく。ほんとうの意味での無添加・国産有機・植物原料100パーセントの三拍子がそろったウスターソースが1ビン390円と720円。同じ会社の、まったく同じ小ぶりのビンで、ラベルも一か所以外は同じ。それでいて倍くらいの差がある。
違いは砂糖。有機砂糖入りと、砂糖不使用である。

どうせたくさん食べるものではないから少々の砂糖はかまわない。そう思うときには安いほう。たくさん食べるものではないからこそ数百円ケチることもない。そう思うときには高いほうにしていた。
味はさして変わらない。そう思いたかったが、ぱくっと食べたとたんに「あれっ?」と思う。「あれ? おかしいな」とラベルを確認すると「砂糖」の文字。
「ソースの砂糖くらいは」と済ませようと思った。しかし「あれっ?」と味覚で引っかかるにつれて気持ちにも引っかかりが出てくる。

もしもこのまま砂糖味になれて、私の舌が「あれっ?」と思わなくなったらどうしよう。「どっちも同じ味だ」と思えるようになったら、どういうことになるだろう。
そんなことを考えるようになった。
逆転がおこるのは時間の問題だ。
「あれっ? この味ヘンだな」と思って調べてみたら、砂糖なしのほうで、何も思わずに食べるのが砂糖入りのほうになり、「砂糖なしのソースはダメ。ソースは砂糖入りのでないと」と思うようになったら、なにが起こるだろうか。

私の味覚の正しさの基準。現在は「砂糖なし」のところに合わせられている。それが「砂糖あり」のほうが正しいということに感覚がシフトする。
私の舌が、砂糖の存在を受け入れ、さらに砂糖を積極的に歓迎するようになる。
そんなことになったら、次は何が起こるだろうか?
砂糖の味に違和感を感じない。そんな味覚をいったん身につけてしまえば、私にもまた、人工的な甘味の世界への扉が大きく開かれることだろう。誘惑の声や誘惑の映像が、一気に私の日常になだれこむ。
そうなればもう、何百円安いとか高いとか、そういう問題ではなくなってしまう。
高いスイーツも平気で「買いましょう食べましょう」ということになる。

それじゃあダメだ。元も子もない。
お金の問題じゃない。人工的な味覚への扉には、しっかり鍵をかけていようと思う。
自分の感覚だけは誰にもあけ渡したくない。くるわせたくはない。
11歳のとき菓子類を一切口にしないと決めたあの時、私の人生は大きな転換を遂げたのだろう。
子供じみた小さな転換が、四十年近くも経過するうちに、ずいぶん大きな違いとなっている。
「あ、砂糖入りだ」とわかったら、ぺっぺと口から吐き出した。口の中をヤケドでもするかのように、砂糖を徹底的にきらいにした。今はそこまでしないけれども、「なあんだ。砂糖入りか」とわかったとたん食べる気がうせる。スイーツのきれいな映像を見るのも好きだが、それは花の写真を見るのと変わらない。ああいうのは人さまの食べるもの。自分のではない。そのようなケジメがついている。

ケジメある感覚を温存するために、砂糖なしのソースを定番にする。
ほしいものは自分で作るか、それとも別になくたっていいようなものだけれども、時にはソースもあっていい。
買うたびに、買うまいかと迷うほど高額なソース。
ソースを買うのではない。サイフで痛い思いをして、自分の感覚にケジメをつけ直すということを繰り返し続けてきたのかもしれないなと思う。

料理の味は食べる人の感覚で違うものになる。運動して汗をかいた後では強めの塩加減がおいしい。空腹ならどんなものでも大抵うまい。味付けの基準はない。食べる人の条件によって求められる加減は異なるのだ。

体の調整もまた同じ。
そのときどきに応じて加減しなければうまくいかない。
筋肉が全体的に硬くなっている場合はどうするか。体に力のないときにはどうするのか。
同じ操法の動きでも、力の加減は違ってくる。タメる時間の長さも長くしたり短くしたり、そのときどきの状態にあわせて加減するのが肝要。
人間相手のことだから、機械的に、右に何度左に何度で力加減何キログラムというわけにはいかない。人間あっての加減。一期一会の加減といってもいい。

シンプルな料理ほど加減がむずかしいといわれるが、シンプルな体の動きにも同じことがいえる。加減によって癒しの動きになり、筋肉をゆるめることにもなるし、逆の結果を生むことにもなりうる。
塩が多すぎでも少なすぎでも料理は台無しになる。火加減や加熱の具合もタイミング次第で感動か失望かをわける。
足や腕を、どのくらい上げるか。どの方向に、どのくらいねじるか。力の加減はどうか。脱力のタイミングとインターバルの長さはじゅうぶんか。
それぞれの要素について、ベストの加減というのがある。

これ以上ないというほどシンプルな動き。誰にでもできる動きでコリを解消し、筋肉の弾力を取り戻すというのだから、操体法は加減一つが結果を大きく左右するといっていい。
料理人は舌の感覚をきたえるというが、操体法もまた同じ。深めていくほど奥があり、それだけおもしろくなる。
料理は食べられたときにはじめて完成をみるといわれる。つくる人が、食べる人への配慮を、皿に盛って運んでいるのだ。施術もまた同じだろう。

※10月の公開講習(福岡市内)…24日(水)27日(土)受付中。

「ここまでひどい目にあうようなこと、していない」。そう返事が返ってくるのは全体の何パーセントか。
「自分は相応のことをした」と返すのは全体の何パーセントか。
同じ責め苦にあうのでも、この違いは大きい。
「こんな目にあうようなこと、わたし何ひとつしていない!」とくよくよしてあったガン患者さんが、指導を受けるうちに「いくつか心当たりがある」と言い出した。そのときの目つき顔つきが、違っていた。「ははあ、そうか、そうだったか!」と確信にあふれていた。発見の驚きと、よろこびに満ちていた。
わかれば早い。
自分で取り組むか取り組まないかは、自由であるが、私たちは一方的に病気にやられっぱなしなのではない。決定権は病気のほうにではなく、自分自身にある。決定権を握った顔には開き直った力強さがある。

名医のメス一本で危機を脱しようとあがいていた家人が、ようやく冷静さを取り戻した。
もともと損得勘定にうるさい人間だから、体にメスをいれる損失のことに気がつくと話は早い。
生活のコントロールができないために自分で自分の首を締めている。首を締める自分の手を、ほんの少しゆるめれば済むこと。一生ではない。体調が戻るまでのしんぼうである。
結論はカンタンだが、相当もつれあった糸である。ストレスの大きい人間はとくにそうだ。昼間は気がせいて、ものを食べるよゆうがない。食べられない恨みをつのらせて日が暮れる。忙しさから解放されたときがリベンジタイム。食べながら仕事の残りを深夜までかかって仕上げている。
眠りはなかなか訪れず、朝は動けない。食と睡眠のリズムが失われ、効率のわるいこと、このうえない。
さっさと寝て一日のスタートを早くする。昼間はどれだけ忙しくてもブレイクをとり、適度に食事もとればよい。仕事よりもまず、自分。仕事を続けたければ体のほうをしっかりさせなきゃ続かないだろう。
しかし食と睡眠のリズムを失って二十年にもなる人間には、この結論は受け入れ難い。ありえない選択と思われている。多少の手加減はあるようだが、いまだに夜の11時12時を過ぎても何やら食べている。五十代のいい年をした人間が見られたざまではないが、人にはそれなりの事情っていうものがあるのだから、そこに立ち入ることは誰にもできない話だ。

しかし三度に一度くらいの割合で、声をかける。「こわいもの知らずの行為だよ」「さあその一口がどういうことになるか」「知らねえぞ~」笑って一声かけると、それを合図に片付け始める。
十数年前に受けた本人からの依頼なのだ。何の話でそうなったかは記憶にないが、急にまじめな顔になって、「もしあたしがまちがった方向へ行くことがあったら、なんとしてでも止めてほしい」と言いだしたことがあった。
まちがった方向とはなんのことか、いきなりそう言われてもわからなかった。「それでもとにかくどうでもいいから、あたしを止めろ」と言う。
「誰に何を言われたって、いうこときく人間じゃないくせに」と返したら、「いや、それでもダメ。ぜったいあたしを止めて」ときっぱり真顔で、言う。
「なんでそんなこと私がやらなきゃいけないんだよ」と思いつつ引き受けた。
「わかった。それなら力づくででも止める。容赦しないよ」
あのころはまだ二人とも若かった。家人の体重はまだ40キロ代。そのほっそりとした姿が折にふれ思い出されてならない。過去の家人がタイムトリップでやってきて、「さあ、あの時の約束を果たせ」と迫っている気分になる。昔の家人の声を代弁するつもりで、体重80キロ前後になった現在の家人に声をかける。人の生き方に首を突っ込むような悪趣味はまっぴらご免であるが、頼まれたことだけはべつだ。向こうが「もうけっこうです」と言ってこない限り、依頼は有効である。有効なのか、それとももう無効なのか、一応手紙で確めてみたが返事はない。黙って従っているのだから、何かの役に立てているのだろう。

しかし頑固な家人である。「相応のことをした報いだ」などとしおらしいことを言う人ではない。「こんな目にあうようなことはしていない」と心の中は不満だらけだろうと思う。
治る治らないはべつとして、「ああそうか、そうだったか!」と確信し、自己決定権を握るさばさばした顔になったのを一目見たいものだと思う。

「体のどこか切った?」
体の動きを見られるうちに声がかかる。尋ねられたほうはキョトンとしている。
「手術受けたことある?」再び尋ねられて、「いやとくにそんなことは…」と首をかしげている。
「おかしいね。支える足は左だのに右が短縮している。動きも逆だ。切られてるんじゃない?」
「二十年かもっと昔のなら…」口ごもりながら「盲腸くらい切ってますけど」。
「傷はどこらへんにある?」おそるおそる手をやると、「そこを手で押さえていてごらん」。
小首をかしげながら「こうですか?」。そしてさっきまでできなかった横倒しをやる。体をひねる動きをやってみる。見ていた一同が「おお~」。本人も「あ、できますできます」とあっけにとられている。
「置いた手を離してごらん」。言われた通りにすると、たちまちできなくなる。押さえる、押さえないを何度か繰り返して確認する。
かなしい事実だが、体を切るとこういうことが起こる。

メスで切ったあとのことは、切られた本人さえ忘れているくらい放置されている。しかし切った影響が語られないからといって、影響がないということではない。同じ目にあった私としては何度きいてもイヤな話だ。手術痕の影響というのは。
生活も調整もまじめに取り組んで、動きもわるくない。だけど何か行きづまっている。周りの人と比べても経過がどことなくちがう。自分のマックスこんなもんかなあと思いかけていた頃に、「なにかあるのかもな」と声がかかった。「どこか切ってないか」。わたしは11歳から自分一人で食べものに気をつけ始めて病院に行くまいと意固地になっていたのだから、そんなことは自分に限ってない。そう答え続けた。「ない。そんなことない」と思って過ごすうち、「あぁ…そういや、あったかなあ…」。暗い記憶の奥底から浮かびあがってくる途中の、まだ形にもならないもの。思い出さないほうがよかったようなものが、ふいにぽっかり姿をあらわす。何もまだわからない、幼児のころの自分に起きた、動かしようのない事実。「ぐうの音も出ないとはこのことだ」と苦い思いをしながら向き合うしかなかった。
手術痕を押さえる。すると体はウソのように軽くなり、動きがちがう人のようになる。手術痕を離す。するとふだんの自分の、もとの感じになる。
「なるほど手術の影響とはこういうものなのか」。初めてわかったように思う。もう四十年以上も前の出来事だ。かんべんしてよ。時効でしょ。そのように、思う。夢のように遠い過去の出来事の結果が今ごろになって、こんなかたちで知れる。切られなければ、このウソのように軽い別人のような体が、自分のものだったのだ。自然が私に用意してくれていた、本来の体。本来と、本来でないもの。切ると切らないとで、こうも差が出るとは残念である。他人のは平気で見れても、自分のことともなればこうもちがう。

それは自分の新たな突破口となった。新たな原因がわかる。すると新たな具体策も立つ。手術痕にテーピングしながら調整を続けるうちに、はっきりとした飛躍を見た。体に残されたヒストリーをたどって対策をとると、こうもちがう。
「肉を切らせて骨を断つ」。当時の私が受けた「鼻づまりの手術」は痛い思い、恐い思いを味わいこそすれ何の益ももたらさなかった。しかし切られたからには切られっぱなしではおもしろくない。切らせたからにはどこかにある骨を見つけ、断ち切れたらなどと思う次第。

命の遺産は受けつぐ一方。負債も債権も丸ごと相続だ。
体の借金は破産申請で帳消しにしてもらうこともできず、夜逃げもできない。
自分に返済能力を身につけるほか、苦しみから逃れる手立てはないのだと思う。

同じガン、同じ腰痛といえども、しぜんに放置しておいて治る人がある。
偶然でもない。例外でもない。自然法則の働きあってのことだ。
体に借金が比較的少ない場合、かなりの重病をわずらっても軽く済むはずだ。長年、大きな負債をためこんできた人は、どんな軽いケガも病気も、破産とまではいかないまでも長引くことは考えられる。治りがわるい場合には、自分の持つ負債と返済能力について思いをはせれば、どうすべきか答えも出る。

子供時代どのように過ごし、今までどのような病歴で、どのような治療を受けたか。
今はどんな生活を送り、どのような筋肉の状態なのか。
年令は、どうか。
どう考えても身に覚えのないという場合には、親や身内について同じようなことを思い浮かべてみる。そのうちに、今の自分の状態が、どのくらいの期間でどのくらい回復するものか、目安がつきそうである。
いつまでに、何をどのくらいまで回復させたいか。そのために、どのくらいまでなら頑張ってもいいと思うか。どのくらい回復したら、何をしたいか。
がむしゃらに、ただラクになりたい、早く治れ治れというのでなく、そのような見通しも立ててみる。

毎月百万円使うのを当たり前に過ごしていた人が、毎月20万で生活したら苦しい。
もともと数億の負債を負って生まれた人なら、質素にしているつもりでも生活に困る。
体に負った負債は目に見えない。見ようと思ってもなかなか正確な額がわからない。思い当たるふしもない、身におぼえもないことだったらば、いっそう苦しく困るのである。
操体法で体の動きを検査してみると、「ああこういう見積もりのやり方もありだな」と思う。筋肉のかたさ・やわらかさの中に、子供時代からの生活歴だけでなく、先代の生活歴を見る。
人それぞれの、負債がある。生まれたあとで騒いでみてもしょうがない面もある。しかし返済能力を確実に身につければ、苦しみは確かに減る。借金を借金でごまかすのではなく、返済能力そのものを高める。それがセルフヒーリング。自力療法の発想ではないのか。

ケガや病気をきっかけに、自分自身の生活を見直し、生き方を問い直すというが、具体的にいうと、自分の体にはどのくらい負債があり、どのくらい返済能力があるかを考えるということになろう。
病気やケガをしたときには、回復の見込みとしてそのようなことを考えてみて、事実と向き合う。取り組みが早ければ早いほど利息は小さい。痛い目にあわずに済むのである。

※10月の公開講習は24日と27日に開かれます。初心者の参加もありますのでお気軽に参加ください。参加費お一人二千円。予約不要。

生まれる日も死ぬ日もそうそう選べない。生まれるにはどんな日がよく、死ぬにはどんな日が理想的か。病院の都合で人の生死の日時まで薬物コントロールされる時代だという噂もあるが、そんな操作があるにせよ、どの日にも生まれる人あり、どの日にも死ぬ人があるのも事実。楽しいハッピーバースデーの歌が流れない日は一日としてないならば、どの日だって死ぬのによい日和ではないのか。

「私はもうこのお盆までだろう」。正月早々、和尚が言う。寺の者たちが驚いて、「お盆はただでさえ混みます」と返したところ、「では今日にしようか」と言うのでさらにあわてたら、「今日というのも急だから明日にしよう」と言う。和尚の言葉を本気にする者はなかったが、翌日になると和尚はりっぱな往生をしたという。そんな話がある。
あまりにあっけない話だ。これは命を軽んじた話だろうか。和尚はたとえ死をさとっていても、ギリギリまで生きるべきだったろうか。
死ぬのはお盆でも、正月の今日でも、かまわない。生きるのがお盆まででも、今日まででも、和尚にとってはまったくの同じ価値、同じ重みだったとでもいうのか。

死ぬことは、生きることより重大というわけでもなく、生きることは、死ぬことよりも重大というわけでもない。
和尚は自分の死と自分の生を、かっきり同じにあつかってみせた。私たちが無頓着に、あたりまえに一日を生きて迎えるように、無頓着に、あたりまえに死を迎えた。
和尚は死をあまりに無頓着にあつかったのか。死はもっと重いものだというのなら、生きることだってもっと重い。その重い生を、私たちはあたりまえに受け入れ、無頓着に生きている。そういう事実がある。
「重く生きろ」「重く死ね」と言われたって、わからないではないか。

山や川のお気に入りの場所で、ぼーっと一人で過ごしていると、「ああ死ぬのにいい感じ」とどこかで感じている。死を恐怖の対象にして、ちょっとした異変が起こるたび、「死ぬ!死んじゃう!」と母にしがみついて大騒ぎしていた子供の頃の自分に、「なにも恐れることはない」と一声かけてやりたくなる。母は病院に駆け込む。医者は「放っておいたら大変なことになる」と言う。次々と検査が続き、おどろおどろしい菌の名前や病名を知る。むざんな末路を聞かされて集団ヒステリーのようなことになっていた。薬で胃腸は慢性的に荒らされ、偏頭痛や神経痛持ちの小学生。不定愁訴のオンパレードに悩んだのも今となっては茶番。喜劇である。
昔は「いつ死んでもよいように」と小さな子どもの頃から死の覚悟と姿勢をしつけられるのが当たり前だった。そういう時代もあった。子供も大人も、自分の死と自分の生に向きあわされる機会が多かったろう。今は「死をできるだけ避ける」技術が発達している。それだけに、「死ぬのだけはイヤ」とだだっ子のようなことになって、ぶるぶる震えている。そういうことになってはいまいかと思われる次第。


※「今日は死ぬのにもってこいの日」という訳もあります。
Today is a good day to die.というアメリカインディアンの言葉の訳語。

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