福岡操体法スタジオ (yahoo!ブログから移転)

九州は福岡に操体法スタジオを開設しました。さまざまなアレルギー発作や肝臓病を生活改善で、回復不能といわれたムチウチを操体法で対応した自身の体験も紹介。施術や講習会のお問合せは080-1720-1097 メールfukuokasoutaihou★yahoo.co.jp(★→@)へお寄せください。

カテゴリ: 検査のセカイ

これ以上ないってほど元気な方が、
健診でいつも引っかかってお薬を勧められるんだそう。
子供のころから変わらず元気に過ごしてるひとに、
検査を受けさせたり薬を勧める医学って、
なんかヘンじゃないのって、
疑問を投げかける医療関係者の方々の意見を調べてみました。
やっぱりヘンですよって。
検査というのは具合のわるいひとを対象に項目を選ぶものだそう。
具合がわるい。う~ん、この可能性もあれば、あの可能性もある。
いくつかの可能性の中から一つを選び、確認のために検査する。
検査の結果が予想どおりとしても確実ではないんだそう。
他の可能性も残したうえで対処してみるわけです。
だから「2週間後に、また来てね」って言われる。
見当違いじゃないか確認とりたいわけです。
2週間のうちに治れば患者はもう来ない。
気になるなら電話で「回復しました」って報告したらいい。

定期健診というのが広がるにつれ、
検査の意味が間違って伝わるかもしれません。
何も困ってないひとでも検査の基準値をはずしてたら、
治療すべき隠れた病気があるという誤解が広がってないでしょうか。
元気なひとに治療をほどこしても、
それ以上元気になることはありませんのでメリットないそうです。
むしろ医源病といって、
医療処置に伴うデメリットのほうが心配だと、
良識あるお医者さんたちは発言してるのですが、
企業がスポンサーであるテレビや新聞に出ないので、
彼らの意見を聞いたことないひとのほうが多いかもしれません。

検査は目安と医療従事者も言う。
ふつうに日常を送っているのに検査に異常が出ることもある。
「検査で異常が出ました」って言われたら気分よくないけど目安です。
どこかにわるいところが必ずあるということにはならない。
それはなぜでしょうか。
「検査で異常」というのは、
体が検査基準どおりに活動してないという意味です。
ひとの体は検査基準を守って生きてるわけではないでしょう。
検査基準を守る体が正常ということもないし、
検査基準を守らない体は異常ともいえない。
「検査で異常が出た」イコ-ル「あなたの体は異常です」ではない。

科学で人間の生命活動すべてを知ることはできないんです。
日常生活をふつうに送っている状況で検査は必要ない、
健康診断を受けても何らメリットないと指摘する専門家もいる。
検査はあくまで目安と誰もが言うのです。
しかしじっさいには、検査結果が目安以上の影響力をふるい、
絶対的な支配権を握るようにも見える。
日常を元気に送っているにも関わらず、
健康診断と精密検査の結果により、
不治の難病と下された診断を真に受けて、
不安と恐怖の日々を送り、仕事もやめたってひともいる。
検査を受けに通院して10年以上が経過。
体調はなんともないので危険な治療は断り続けているが、
本人もご家族にも不安と恐怖は消えない。
生活の質をこれほど低下させるとは何とも罪な検査結果。

検査結果に心が支配されてしまうのは、
自分で自分の体のことが把握できないからだと思われます。
自分でわかりさえすれば、
検査が目安であって、意味がない場合も多いということが、
自分なりの実感と経験で次第にわかってくるでしょう。
知識より大事なことがあるとすれば、
「自分の感覚でわかる」ということかもしれませんね。































18歳で倒れたとき、「治らない」と告知された。
そのときのショックったらなかったけど、帰りにお薬がちゃんと出てる。
とても不思議で、飲む気にならなかった。
月に2回の通院、数か月ごとに検査、そして毎度毎度お薬もらう。
「どうせあんたは治りませんもんね」って態度で接されて、
検査の数値がどう変化しても無関心を示される。
さすがに苦痛でやりきれず、
「自分で取り組んだら治ったよ(^o^)」っていう体験談を読みあさりながら、
「ひとまかせにしても、らちがあかない」という気持ちを強くした。
30歳のとき、やっと操体法にめぐりあった。
体調が、ぜんぜんちがう。
がぜんヤル気になった。
若かったということもあるし、
操体法に出会うまでに自然療法のたぐいはさんざん失敗を繰り返したので、
ちがいというのはすぐにわかった。

45歳のときに交通事故にあって、
「治らない」の告知をふたたび受け、重大なショックを受けた。
あちこち病院をたずね、半年も経過するうちに、体調は悪化をたどった。
操体法で対処しようという気はまったくなかった。
対処どころか、もうやめようとしか思えない。
けれど先々で、「もとの体になりたい」と訴えると、
「そういうので治ったケース見たことない」
「あきらめたほうがラクだ」としか言ってもらえない。
「やりたい治療があったら、なんでもやってあげるよ」ってひともあったが、
「やる価値はあるが治らないと思います」なんて言われるので、さすがにねぇ。

誰も治るまで付き合ってくれない。
自分で取り組むしかないんだという心構えができるまで、
ものすご~く長い年月を必要とした。
「誰かやってくれないかな」っていう油断がなくなることはない。
「そんなのカンタンに治してあげます(^o^)」くらいの調子いい話があったら、
飛びついてしまうかもしれないけれど、
さすがにそこまで無責任なひとには、まだ会ったことがなく、
そこはラッキーじゃないかと思ってる。




車のオーバーホールというものを見て感動しました。
車のエンジン、ほんとに分解できるんですね!
ひとの体だと、こうはいきませんよね。

車のエンジンは、
オイルの満たされたプールの中で正常に働くのですが、
オイルが古くなっても放置され、
オイルの粘り気が強くなり、固形化し、エンジンが動かなくなったのを、
分解している動画を見ておりました。
全てはボルトとナットで固定され、つながれており、
部品をすべてばらして洗浄液に浸し、
エンジンルームは高圧スチームでできる限りの洗浄をする。
「ここまでひどい状態のエンジンは扱ったことがなく、
スチームで水洗いしちゃってだいじょうぶなのか、わからない」
と解説しておられました。
きれいになった部品が組み直され、車に搭載されたあと、
テスト走行が実施されました。
何ごともなかったかのようにエンジンがかかり、
じつにきれいに走ることができました。
ほんとに感動的なシーンですが、
人間の体だと、こうはいかないなあと思いました。

人間の体はもともと一つです。
どこにもボルトやナットやネジはついてません。
どこからも分解できませんし、組み立てなおすこともできません。
最近では「部品交換します」といって、
内臓や関節を切り取ってほかのものに換えるということが、
日常的に当たり前のように行われています。
車なら最初から部品の寄せ集めなのです。
バラバラにしても組み立てなおしても、
もともとそういうものなので、どこも傷めることはない。
しかし生きものの体の「部品」を交換する場合、
ボルトやナットやネジのないところを、
ザクザクと切り進めてゆき、ゴシゴシとノコギリで骨を切り、
ノミでガンガン叩いてぶった切り、
周辺部位の損害は甚大であり、深刻なものです。

人間と機械はちがうんだということを、
車のオーバーホールの動画を何度も見返しながら、
考え続けた年末年始でした。

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治療薬がはやくできてくれれば・・とか、
予防接種がはやくできますように・・とか、
ものすごく不安げに、祈るようにしておられる方もいて、
そんなひとが治療薬や予防接種を手にしても、
ほんとの安心、得られそうかな。

おぎゃあと生まれて今日まで、
自分を守ってくれてた体と、体の防御システムの存在に、
感謝するとともに思い出してみようと思う。
体が弱って機能もじゅうぶんでなければ、
日常を楽しく送れないし、
どんなにたくさんの薬をもらっても、
薬や注射というのはただのお節介ですよね、
体を治し、回復させてきたのは、
いつだって体自身だった、それが事実じゃないでしょうか。

気をもんでストレスかけてたら、
当然ながら体の機能をおかしくするし、
薬がないなら治りっこないとか、
予防接種がなければウイルスに負けちゃうとか、
ふつうに考えて、そんなこともないでしょう。

戸外で新鮮な空気を吸って、気持ちをラクにする。
未来のこと心配しても、くたびれるし、
わるい想像は体に毒だしね(^o^)

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職場の健康診断で、たいへんな結果が出た。
「難病です。いつ死んでもおかしくありません」
再検査の病院で、そのように告げられたそうです。
体調はずっとよくて、文句のつけようもないわけですが、
医者の言葉を尊重し、まだ50代で職場を去り、
死んだつもりになって、
老後の引退生活みたいな生活を送ることにした。
イチかバチかの危険な治療、危険な薬を、
勧められたそうですが、
体調は、生まれたときからぜんぜん変わらない感じ、
そこに危険な治療を受け、危険な薬を投薬された場合には、
現在と将来の健康が確実にそこなわれるだけでなく、
致命的にさえ、なりかねないようなので、
ご家族やお身内とも相談を重ねたあげく、
わざわざ苦しむ必要ないと、断ったそうです。

それから今日に至るまでの15年間、
体調は相変わらず変化なく元気ですが、
ご自身も周囲も、
「治癒不能の難病で、いつ死んでもおかしくない」という、
どこかしら悲劇的な、
どこかしら不安と恐怖に切羽詰まった、
「まるでドラマの主人公を演じてる気分」だそう。
二週間ごとに血液検査を受けに通院し、
数値は上がったり下がったり。
病巣もないし、症状も実態もない、
ただ検査数値と結びつけられた難病で、
何と関連して数値がそうなるか、それも不明だそう。
体調は数値に関係ないようですが、
数値がわるくなるたびに治療と薬を勧められる。
体調という現実よりも、
検査という目安の情報が重視される現場です。
長い年月、数値重視で過ごしてきて、
疲れたし、バカバカしくもなり、
自分たちの判断で通院を打ち切ったそうですが、
ドラマの主人公がけなげにふるまうような感じは、
今でもやめられないのだそうです。

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健康によいとされるスポーツ飲料やソフトドリンク。
添加されてた保存料と、合成ビタミンが、
容器の中で混ざって化学反応を起こしていたようで、
神経毒性を持つ発がん物質を、知らぬ間につくってた。
かなりの製品で、見つかったらしいの。
知らぬが仏とは、まさにこのこと!

自然をなめちゃ、いかんね。
自然の食べ物・飲み物は、さまざまな物質のブレンド。
安全なブレンドなんですよ。
ところがその絶妙なブレンドの中から、
有効成分を特定、精製して増量するのが、
健康によい、強化食品などといわれるものです。
じっさいには、自然のブレンドの手腕が、
有効成分と同等に素晴らしく、
ブレンドと成分を切り離して考えることなど、
決してできない。そんな考え方も、あるのですが、
それでは健康産業は成り立ちません。

にんげんさまが、「体にいい成分だけ取り出して、
いいものだけで勝手にブレンドして、
自然なものより、もっといいもの作ってやる」
って頑張った結果は、このとおり。
単品で動物実験は、とりあえずしてるけど、
何と何を組み合わせたらどう反応するかなんて、
現実問題、不可能だから、ぜんぜんやってないんだって。

不自然で、新しい加工技術が進んでいるため、
製品の中で、誰も知らないところで、
何が起こっていても不思議じゃないんだって話を、
最近、講演の映像で知ったんですよね。

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ネコたちは毛並みよし、
こっちを向いた目つき顔つきもシッカリしてて、
これ以上の元気は望めそうにない。
だけどもう四、五年になるかな、
腫瘍があるんじゃないかと思う。
上から見ると、右の腹部の一部が盛り上がり、
ぽこんと出っ張ってる。
指に触れるんだ。でっかいシコリ。

妊娠したのかと思ったけれど、
室内に閉じ込めてて、それはあり得なかった。
腹が膨れてるだけで、ほんとに元気。
キャットフードをあらため、
手作りで少食にしてきたけれど、
外で自由にしてやれなくて、室内に閉じ込めたまま。
こんなところで、よくここまで育ったな。
不健全な生活環境で、よく頑張ってるな。
腫瘍くらいできても不思議じゃない。

生活環境を変え、
外で自由に運動する生活させてやったら、
消える可能性がある腫瘍。

これを手術で切り取ったなら、
ネコたちは非常に大きなリスクを負うだろう。
皮膚も筋肉も傷一つ、ついてないのが、
腫瘍を取るとなれば、
深く刃物を入れて、体を切り開くこととなる。
大量の薬剤も必要となる。
それで今より元気で健やかに、なるだろうか。

「出物腫物というのは食べ過ぎなんだ」っていわれる。
食べた分、動けばいいけど、
自由を奪われた彼らには、
じゅうぶんな運動はできないし、
楽しみが、食べることに集中する。
生活スタイルが根本原因なら、生活を変えるしかない。
それができないからといって、
手術や薬が、生活改善の代わりになるかというと、
それはどうかなあ。

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長くつ下のピッピ、って話、
自分の小学生のころ日本に入ってきた。
主人公が好きになれなくて、むしろ反感を持った。
この子、ジンジャークッキー焼くときに、
床の上で生地をのばしてたんだよね。
何かの間違いじゃないかって、そこ何度も読み返した。
人が歩く床の上で作ったクッキー、
そんなもん誰が食べるかって、折にふれ思い出す。

このクッキー口にできるひと、どのくらい、いるかな。
この本、今なら発禁処分ものだろうか。
自分でも意外だけど、いまの私は食べても平気。
故森下医学博士の実験結果がほんとなら、
私たちはウイルスと共存できる。
実験結果がウソだったなら、朝から晩まで煮沸消毒、
外では抗菌除菌、体内は抗生物質・抗ウイルス剤、
山歩きもマスク欠かさず、
ひとから距離を置き、目を伏せて、
微生物を逃げまくり殺しまくり暮らすほか、
どうすればよいというのでしょうか。

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映画やアニメを見てて気がつくことは、
いいやつ、わるいやつ、っていう二元論のラベルが、
あちこちに貼られてるってこと。
ストーリーが展開するうちに、
「わるいやつらを殺せ」「殺せ」「殺せ」って、
知らず知らず念じてしまう。
「こんなやつら、いま殺しちゃうしかないでしょ」
「わたしがゆるす、さっさと殺しちゃえ」って、
無意識に叫ぶ。叫ばされてしまうのですよね。

二元論のものの見方では、
「わたしが生きるため、こいつには死んでもらう」
そこに落ち着く話です。
わるいやつがいいやつになったり、
いいやつと思ってたのがわるいやつだったりもするけど、
結局は二元論の思考パターンに知らず知らずのっかって、
ウイルス殺しちゃえって話にも、なるね。
そうなると坊主憎けりゃ、って流れ、
感染者もただじゃすまない。じっさいそうなっている。

故森下医学博士の『自然医学の基礎』を、
初めて読んだときの衝撃。
最初は「二元論」の話。
西洋の伝統は二元論、しかし東洋はそうじゃない。
そうじゃなかったんだって、
自然や医学と何の関係もないと思う話が続きに続く、
どうなってんのってページをくっていくと、
確かに医学の本のようだけど、
二元論と医学、どう関係あるの。

わかるまでに何年もかかっちゃったけど、
エコロジーという言葉に先に出会ってたおかげで、
どうにか理解にこぎつけたって次第。

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