ちがいのわかるひとは最初から操体法ができるが、
ちがいのわからないひとは最初から最後まで少々むずかしい。
右の挙手、左の挙手、
外から見てるひとには左右のちがいがわかっても、本人は首をひねる。
「同じようなもんでしょ」って。
わかるひとっていうのは、「あっ、こっちですね」と反応がよい。
やりやすいほうを何度か行ってもらった後、
もいちど右と左で挙手を比べてもらうと、
「あっ、変わってる。たしかにさっきとちがう!
え~、不思議ね。なんでですか」
これで操体法の入門編はほぼ終了ですが、
ここまでくるのに1年3年、いや10年かかっても、
「言われてみりゃ、そうですけどね」
「まあ変わったといえば変わったけど(それがどうした?)」
そんなところで止まってるケースも少なくないわけです。
からだのにぶいひとは「どっちみちおなじじゃねえか」で生きてきて、
今後もその方針で生きてく予定かもしれないから、
「あ、こっちです」「いや、それはダメ」「あと1センチ外側」などと、
的確に自分の感覚で、よい動きを知るということは、
自分とは関係ない世界だと割り切って、
そのまま自分のにぶさを許す傾向もある。
左右の差・動きの差というのは、日常で見落とされていたちがいです。
その小さなちがいが、現在の災厄を招いてるということが、
信じられないにせよ、イメージだけでもできるかどうか。
見落としちゃいけない、かすかな違いもあるということを、
少しでも信じられるかどうか、そこは操体法の分かれ目となるでしょう。
信じて取り組んでいれば、
当たり前のことだから、当たり前にわかるようになるのですが。
※数あるブログからご訪問いただき、ありがとうございます。
ちがいのわからないひとは最初から最後まで少々むずかしい。
右の挙手、左の挙手、
外から見てるひとには左右のちがいがわかっても、本人は首をひねる。
「同じようなもんでしょ」って。
わかるひとっていうのは、「あっ、こっちですね」と反応がよい。
やりやすいほうを何度か行ってもらった後、
もいちど右と左で挙手を比べてもらうと、
「あっ、変わってる。たしかにさっきとちがう!
え~、不思議ね。なんでですか」
これで操体法の入門編はほぼ終了ですが、
ここまでくるのに1年3年、いや10年かかっても、
「言われてみりゃ、そうですけどね」
「まあ変わったといえば変わったけど(それがどうした?)」
そんなところで止まってるケースも少なくないわけです。
からだのにぶいひとは「どっちみちおなじじゃねえか」で生きてきて、
今後もその方針で生きてく予定かもしれないから、
「あ、こっちです」「いや、それはダメ」「あと1センチ外側」などと、
的確に自分の感覚で、よい動きを知るということは、
自分とは関係ない世界だと割り切って、
そのまま自分のにぶさを許す傾向もある。
左右の差・動きの差というのは、日常で見落とされていたちがいです。
その小さなちがいが、現在の災厄を招いてるということが、
信じられないにせよ、イメージだけでもできるかどうか。
見落としちゃいけない、かすかな違いもあるということを、
少しでも信じられるかどうか、そこは操体法の分かれ目となるでしょう。
信じて取り組んでいれば、
当たり前のことだから、当たり前にわかるようになるのですが。
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